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2014.02.10

Vol.26 【横浜・明治時代】かつて農漁村だった地が、明治の激動とともに日本最大級の都市へ

商業・文化が発展するとともに街のインフラ面も強化

水道、ガス灯・電灯他、国内ではじめて新聞が発行される(イメージ図)

水道、ガス灯・電灯他、国内ではじめて新聞が
発行される(イメージ図)

明治に入ると、幕末に開港された港を中心として、横浜は目覚ましい発展を遂げていきます。生糸の輸出や機械の輸入などが盛んに行なわれ、生糸貿易で名をはせた茂木惣兵衛や、横浜の三渓園でも知られる原善三郎などが活躍し財を成しました。また、外国から鉄道や医学、キリスト教などの新しい文明が流入することで、日本の新しい文化の窓口ともなりました。商業や文化の面以外では、主にインフラ面が急速に発展しました。港を中心に埋め立て工事が積極的に行なわれたことで、街の規模が拡大した他、交通面では1872(明治5)年に埋め立てられた土地に東海道線の横浜駅(現在の桜木町駅)も開通。港では、開国直後に造られた波止場に加えて鉄桟橋や新港埠頭も造られ、大型船が接岸できるようになりました。さらに現在では当たり前のライフラインである、水道、ガス灯・電灯などが横浜にはじめて設置されたのも明治時代です。その他、明治時代の横浜では、1871(明治3)年に国内ではじめて新聞が発行されています。

今も現存する歴史的建造物の数多くは明治時代に建設

当時最新技術の建物が多く誕生

当時最新技術の建物が多く誕生

明治以降の横浜には、当時最新の建築技術で建てられた建物が数多く誕生します。現存する建物としては、1911(明治44)年に竣工された国内初の全鉄筋コンクリート造りで建てられた横浜三井物産ビル(現・KN日本大通ビル)をはじめ、1904(明治37)年築の神奈川県立歴史博物館、1911(明治44)年築の横浜赤レンガ倉庫、1910(明治43)年築の外交官の家、1917(大正6)年築の横浜市開港記念会館、1921(大正10)年築の旧警友病院別館、1921(大正10)年築の横浜松坂屋本店、1909(明治42)年築の山手資料館など、枚挙に暇がないほどです。このなかには、神奈川県立歴史博物館など国の重要文化財に指定されている建築物も少なくありません。

着々と発展した街が震災によって壊滅状態に。その後、空襲にも見舞われる

開港以降、着々と発展を遂げてきた横浜は1923(大正12)年9月1日の関東大震災によって甚大なダメージを受けてしまいます。壊滅状態に陥った横浜ですが、その後さまざまな復興事業によって現在の横浜につながる新しい都市の骨格が形づくられていきました。しかし、第二次世界大戦時の1945(昭和20)年5月29日、横浜大空襲により横浜の街は再び大きな被害を受けてしまったのです。

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