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2014.02.24

Vol.28 【湘南・江戸時代】観光地もあったが、大半は典型的な農村と漁村だった江戸時代

「湘南」の地名は、諸説あるが“美しい海がある土地”だったことが由来

湘南は「海が美しい土地」が由来とされている

湘南は「海が美しい土地」が由来とされている

湘南地区は、マリンスポーツのメッカ、風光明媚な観光地、高級住宅地など、さまざま顔を持つエリアです。この地が、これまでどういった歴史を経て今の姿となっていったのでしょうか。まず、この地が「湘南」という地名になったのにはいくつかの説があります。中国の文人が好んだ中国国内のある風光明媚な地域を湘南と呼んでいたことに倣って命名された説や、相模国の南「相南」にさんずい(氵)をつけたという説などがありますが、どちらにしても「海が美しい土地」であることから名づけられたことが由来として考えられます。

江戸時代は一大観光地として賑いを見せた鎌倉

湘南が元来より美しい土地だったことは間違いないようですが、江戸時代以前までの湘南には鎌倉幕府があった鎌倉を除くと、現在と通じるようなイメージは形成されていませんでした。唯一現在との共通点を挙げるとするならば、相模湾沿岸に面した温暖な気候であったことでしょうか。そのため、旧石器時代から人が生活を営む地であり、遺跡なども各地に点在しています。鎌倉は当時より風光明媚な観光地として親しまれた地域でした。江ノ島弁財天や金沢八景などの名所に多くの人々が物見遊山に訪れ、古都・鎌倉には寺社参詣のために多くの人が集まり、茶店や旅籠が軒を連ね一大観光地として発展していました。鎌倉十橋や鎌倉十井などの、いわゆる「鎌倉の名数」もこの頃に作られ、観光促進に利用されました。

藤沢、平塚、大磯は東海道筋の宿場町として発展

開国後に少しずつ現在の姿へと変容する

開国後に少しずつ現在の姿へと変容する

その他のエリアについては、藤沢、平塚、大磯は、宿場町として発展していました。清浄光寺(遊行寺)など、観光地として人気を博す寺社もありました。しかし、大半の土地は沿岸部が漁村、内陸部が農村という、当時の日本の至るところがそうであったように典型的な江戸時代の田舎風景が広がっていました。とはいえ、湘南地区は東海道筋に属していることから、天領・旗本の知行地が大半を占めていました。8代将軍・徳川吉宗の時代の江戸町奉行・大岡越前守忠相も、高座郡提村に先祖伝来の所領を持っており、その関係で茅ヶ崎の浄見寺に葬られています。湘南の地が現在のような姿に変容していくのは開国後、明治に入った以降になります。まだ海水浴という文化もなかったため、海岸沿いが人で賑わうような現在の姿は当時は見られませんでした。

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